【ブライアン・チェスキー(Airbnb創業者)】家賃滞納・極貧生活から時価総額10兆円へ!投資家の冷笑を跳ね返した驚異の男の精神力【0から成り上がり男の成功秘話#11】
起業の世界において、私たちはしばしば「選ばれたエリートたちの物語」を耳にする。スタンフォード大学やMIT(マサチューセッツ工科大学)を首席で卒業し、最先端のプログラミング技術を駆使して、学生時代から世間の注目を浴びながら涼しい顔で億万長者への階段を駆け上がっていく――そんなシリコンバレーの神話だ。
しかし、これから紹介する男の成功ヒストリーは、そうしたエリート主義の対極にある。彼の名は【ブライアン・チェスキー】。現在、世界最大級の民泊・旅行プラットフォームとして世界10兆円超の時価総額を誇る【Airbnb(エアビーアンドビー)】の共同創業者であり、最高経営責任者(CEO)を務める漢(おとこ)である。
現在でこそ約92億ドル(約1.4兆円)もの膨大な個人資産総額を保有する成功者となった彼だが、その原点は「貧困」「投資家からの全否定」「収益ゼロ」「倒産寸前」、そして「コロナ禍による会社崩壊の危機」という、並の人間であれば心が粉々に砕け散るような壮絶な逆境の連続だった。
なぜ、美術大学出身で経営のことなど何も知らない、ただの「元ボディビルダーのデザイナー」が、リーマン・ショックという金融危機のどん底で起業し、世界中のホテル業界との戦争を勝ち抜き、未曾有のパンデミックすら乗り越えて世界帝国を築き上げることができたのか。男のモチベーションと野心を刺激する、その血と汗と泥水にまみれた成り上がりの軌跡を、数字・エピソードとともに完全に網羅して紐解いていく。
目次
- シリコンバレーのエリート社会に挑んだ「異色の肉体派美大生」
- 年収40,000ドルの閉塞感と「家賃が払えない」が生んだ革命的アイデア
- 投資家からの全否定と借金約3万ドルの極貧期
- 会社の命を救った伝説の奇策「大統領選シリアル作戦」
- 最強投資家集団Y Combinatorとの出会いと「ゴキブリの精神」
- 世界帝国への試練――「信頼ゼロ事件」とコピー企業との激闘
- ジョブズの経営哲学と世界中のホテル業界・規制との戦い
- コロナ禍の絶望――8週間で売上80%消滅と「魚雷が直撃した船」
- ビジネス史上最も劇的なV字回復と「世界最悪のIPOタイミング」での勝負
- 働き盛りの男性がブライアン・チェスキーの生き様から学ぶべき教訓
- 本記事の参照ソース元一覧
シリコンバレーのエリート社会に挑んだ「異色の肉体派美大生」
ブライアン・チェスキーは1981年8月29日、アメリカ・ニューヨーク州ニスカユーナという静かな町で生まれた。父親はポーランド系、母親はイタリア系。両親ともにソーシャルワーカー(社会福祉士)として働く、ごく一般的な中産階級の家庭だった。
幼少期のブライアンは、周囲から見れば一風変わった「デザインオタク」の少年だった。彼のモノ作りへの執念は異様なほど早くから現れていた。クリスマスにサンタクロースへプレゼントをねだる際、彼はあえて「自分がデザイン的に気に入らないおもちゃ」をリクエストしたという。そしてプレゼントを受け取るとすぐに工具箱を開け、自分の手で解体し、理想の形へと改造・再設計することに無上の喜びを感じていたのだ。
彼のヒーローは野球選手でも、お医者さんでもなかった。歴史上の偉大な芸術家、とりわけ【レオナルド・ダ・ヴィンチ】をはじめとするクリエイターたちに強い憧れを抱き、毎日部屋に閉じこもっては絵画の模写に没頭した。さらに、ディズニーのアニメーション背景を真似て描いたり、大好きなNikeのランニングシューズのデザインをひたすら模写して再デザインしたりと、「将来は物をデザインする人間になりたい」という強い願望を胸に育っていった。
卒アルの言葉は「どうせ自分は何者にもなれない」
デザインへの並々ならぬ情熱を秘める一方で、世間や学校の教師たちがブライアンを「将来性のある特別な子供」として評価することはなかった。
高校を卒業する際、彼が卒業アルバム(イヤー・ブック)に載せる自身のコメントとして選んだ言葉は、極めて自虐的で皮肉に満ちたものだった。
【「どうせ自分は何者にもなれない(I’m sure I’ll amount to nothing)」】
彼を愛する父親はこの言葉を見て全く笑えなかったというが、ブライアン本人は世間からの冷酷な視線を逆手に取り、自分の現状をユーモアとして楽しむしたたかさをすでに持ち合わせていた。
父との約束「絶対に地下室に戻ってくるな」と美大でのボディビルの日々
高校生になったブライアンは、デザインの道を本格的に志し、アメリカのアート・デザイン界において世界最高峰と言われる名門アート・デザイン大学、【ロードアイランド・スクール・オブ・デザイン(RISD)】への進学を強く希望した。
しかし、ソーシャルワーカーとして堅実な人生を歩んできた父親は、息子の選択に複雑な顔を浮かべた。不安定な芸術の世界に進んで、将来飯が食えるのか――父親が学費を出す代わりに突きつけた絶対条件は、極めてシビアで愛の込められたルールだった。
【「健康保険のある仕事に就け。そして我が家の地下室に戻ってくるな」】
実家の地下室に引きこもるような、自立できない大人にだけはなるな。ブライアンはこの男と男の約束を堅く飲み、RISDへと進学した。彼はここでインダストリアルデザイン(工業デザイン)を専攻することになる。
しかし、ここでもブライアンは「普通の美大生」の枠には収まらなかった。キャンパスでキャンバスに向かうだけでなく、RISDでホッケーチームのキャプテン(ホッケー部)を務め、氷上で体を張ってチームを引っ張るリーダーシップを発揮したのだ。さらに、彼の肉体改造への熱意は常軌を逸していた。ジムでの猛烈な筋力トレーニングに打ち込み、まるでプロのスポーツ選手のようなボディビルダー体型を手に入れたのだ。彼は実際、競技ボディビルダーとして全身にオイルを塗り、大会のステージに立って筋肉のポーズをとっていたという、絵に描いたような【肉体派芸術家】だったのである。
このRISDでの激動の日々の中、ブライアンの人生を変える運命の出会いが訪れる。同じくデザイン専攻で学んでいた学生、【ジョー・ゲビア(ジョー・ジェビア)】との出会いである。性格は違えど、デザインが持つ可能性と世界を変える力に強い信念を抱く二人はすぐに意気投合した。そして大学を卒業する記念すべき日、ジョーはブライアンに向けてこう言葉を投げかけた。
「ブライアン、いつか一緒に会社を作ろう。」
この一言が、数年後、世界を揺るがすビジネス革命の種となったのだ。
年収40,000ドルの閉塞感と「家賃が払えない」が生んだ革命的アイデア
大学を卒業したブライアンは、父との約束である「健康保険のある仕事」「実家に帰らない自立」を守るため、アメリカ西海岸のロサンゼルスにある小さなインダストリアルデザインの会社に就職した。
与えられた給与は年収40,000ドル。当時の換算で日本円にして約400万円強(約400万円以上)という、ロサンゼルスの物価からすればギリギリの生活水準だった。
「このまま死ぬのか」――22歳で感じた耐えがたい現実とロサンゼルスからの脱出
社会人として一歩を踏み出したブライアンだったが、就職から間もなくして、彼の心を底知れぬ深い閉塞感と虚無感が覆い尽くした。
ロサンゼルスの名物である毎日の絶望的な交通渋滞の中、ひとりで車を運転して通勤し、会社に到着してはクライアントから指示された通りにデザインの図面を引く。誰かの指示に従い、自分のクリエイティビティが摩耗していく日々を過ごす中で、22歳になった彼は自問自答した。
【「これが自分の人生なのか」「自分はこのまま死ぬのか」】
RISDのキャンパスで、「デザイナーは世界を変えられる」「人間を中心にしたデザインで新たな価値を創り出すんだ」と徹底的に叩き込まれた誇り高き男にとって、ただ歯車として生きる現実は耐えがたい苦痛だった。
ブライアンは決断した。安定した年収と健康保険を捨て、会社を辞めることを選んだのだ。彼はボロボロの愛車ホンダ・シビックの荷台にフォームベッドを無理やり詰め込み、アクセルを踏み込んだ。向かった先は北、テック・イノベーションの聖地であるサンフランシスコ。そこでは、大学時代の盟友ジョー・ゲビアがアパートを借りて彼を待っていた。ブライアンは職もあてもないまま、ジョーのアパートへと転がり込んだのである。
エアマットレス3枚から始まった「Air Bed & Breakfast」の誕生
2007年秋、サンフランシスコでの新生活はすぐに限界を迎えた。無職のブライアンには当然収入がない。さらにジョーとのアパートの家賃が突然値上げされ、彼らは完全に【「家賃が払えない」】という極限の窮地に追い込まれた。今月の家賃すら払えなければ、アパートを追い出され、ブライアンは父との「絶対に地下室に戻ってくるな」という約束を破って実家に帰るしかなくなってしまう。
まさにその時、偶然という名の転機が訪れた。サンフランシスコ市内で、世界中から著名なクリエイターたちが集まる大規模な工業デザイナーの会議(デザインカンファレンス)が開催されることになったのだ。このイベントの影響で、サンフランシスコ市内のホテルは予約で完全に埋まり、全て満室という状態に陥っていた。
アパートのリビングルームで見つめ合う二人。ジョーがブライアンに、まるで冗談のような提案をした。
【「参加者にうちの部屋を貸し出せないか? エアベッドを3つ置けば、泊まりたい人がいるのでは?」】
これこそが、人間の歴史において最も偉大なビジネス・ピボット(転換)の瞬間だった。二人は近くのショップで3枚のエアマットレスを購入し、自分たちのアパートのリビングルームの床に並べて敷いた。単に寝床を貸すだけでなく、デザイナーらしい最高のホスピタリティを提供しようと、宿代に加えて手作りの朝食(アメリカの定番トースターペストリーであるPop-Tartsなど)をセットにして参加者を募ったのだ。
この手作りの即席サービスにやってきた最初のゲストは、わずか3人だった。
- インドからやってきた30歳の男性
- ボストン出身の35歳の女性
- ユタ州から来た45歳の4人の子供を持つ父親
年齢も性別も国籍も全く異なる彼らは、エアマットレスの上で快適に眠り、翌朝はキッチンのテーブルを囲んでブライアンたちとコーヒーを飲みながら語り合った。単なる「場所の貸し借り」を超えた、人と人との強烈なつながりが生み出す熱量に、ブライアンたちの全身に電撃が走った。
【「Air Bed & Breakfast(エアベッド&ブレックファースト)」】
のちに世界最大の民泊・旅行プラットフォーム「Airbnb」へと進化する小さな奇跡の種は、こうして家賃すら払えない貧乏な二人のアパートの床から誕生したのである。
投資家からの全否定と借金約3万ドルの極貧期
しかし、「画期的なアイデアを見つけたら、すぐにシリコンバレーの投資家から数億円の資金が集まり、大企業へと成長する」などという甘い現実は、彼らを待っていなかった。むしろ、創業直後の現実は【地獄そのもの】であり、サイトを開設しても全くと言っていいほど予約が入らず、利用者はほぼゼロという絶望的な日々が続いた。
「脳筋男に経営は無理」「見知らぬ人の家に泊まる?正気か?」――7人の著名VCからの屈辱的な門前払い
2008年、ブライアンとジョーは会社を存続させるためのシード資金を求めて、シリコンバレーで名高い著名投資家(ベンチャーキャピタル:VC)たちを片っ端から訪問し、熱狂的にビジネスプランを語った。
しかし、数十社以上の投資家たちから返ってきたのは、ことごとく冷酷な【門前払い】と嘲笑だった。当時のアメリカの常識において、他人の家に泊まるという概念はあまりにも異質であり、投資家たちの目には単なる狂気の沙汰としか映らなかったのだ。
- 「見知らぬ人間の家に泊まる? 正気か?」
- 「見知らぬ人の家に泊まるなんて誰もやらない」
- 「そんなビジネスが成立するわけがない」
- 「誰がそんな危険なことをする? 絶対に流行らない」
さらにブライアンたちを苦しめたのが、彼らの「バックグラウンド」に対する根深い偏見だった。シリコンバレーの投資家たちは、スタンフォードやMITでコンピューターサイエンスを学んだエリートエンジニアたちにしかお金を預けたくないという固定観念に囚われていた。美術大学(RISD)出身で、スポーツのホッケーとボディビルに明け暮れていたブライアンは、完全に過小評価された。
【「デザイン上がりの脳筋男に、まともなテック企業の経営などできるわけがない」】
そんな言葉すら浴びせられた。ブライアン・チェスキー本人は後年、当時を振り返って「投資家は皆、私たちが狂っていると思っていた」と語っている。
とりわけ象徴的で、シリコンバレーの歴史において伝説として語り継がれているのが、2008年6月に起きた屈辱的な出来事だ。彼らは友人の貴重な紹介を頼りに、シリコンバレーでもトップクラスに著名な【7人の投資家】に対してピッチ(事業プレゼンテーション)を行う機会を得た。
当時、ブライアンたちが提示した条件は、企業の価値を150万ドル($150万)と評価した上で、その10%にあたる15万ドル($150,000)の資金を調達するというものだった。しかし、結果は惨敗。ほぼ全員の投資家から、全く興味すら示されないまま完全に拒絶されたのだ。
ブライアン・チェスキーは後年、2015年に自身のブログプラットフォーム「Medium」において、【「7 Rejections(7つの拒絶)」】という刺激的なタイトルの記事を投稿し、当時7人の投資家たちから実際に送られてきた冷酷な拒絶メールの全文を実名・モザイクなしに近い形で公開し、世界中に衝撃を与えた。当時、15万ドルの投資を拒否したある著名なVCの一人は、後になって自身の過ちを恥じ、次のように告白している。
【「あれは私の投資キャリアの中で最大の失敗だった」】
クレジットカードを限度額まで使い果たす極限の「ダイエットプログラム」
2008年の世界的な金融危機の足音が近づく中、投資家から見放された「Air Bed & Breakfast」の銀行口座残高は底をつき、最終的に約2万ドルしか残らない倒産寸前の状態へと陥った。
会社の命を一日でも延ばすため、ブライアンとジョーは自身の個人クレジットカードを何枚も契約し、それぞれの限度額の限界まで使い果たすという無謀なサバイバルに突入した。彼らが背負ったクレジットカードの借金は、なんと合計で【約3万ドル(当時のレートで約300万円)】という膨大な金額に達していた。
毎日のようにカード会社からの督促に追われ、何枚ものクレジットカードをバインダーに挟んで整理し、あるカードの支払いを別のカードで埋め合わせるという、綱渡りのような限界生活。極度のストレスと資金難から、まともな食事すら摂ることができなかった。当時の精神・肉体状態について、ブライアンは後にインタビューでこう自嘲気味に回顧している。
【「朝起きるとパニックになる。誰も理解してくれず、お金もなく、最高のダイエットプログラムだった」】
22歳の若者たちが描いた理想は、金融危機と多額の借金という残酷な現実の前に、今にも押し潰されようとしていた。
会社の命を救った伝説の奇策「大統領選シリアル作戦」
2008年秋。リーマン・ショック(世界的な金融危機)が勃発し、シリコンバレー全体から資金が消え去った最悪のタイミング。銀行口座は空っぽで、クレジットカードの枠も完全に使い切った。翌月の家賃を払うことすら不可能となり、いよいよ「会社倒産」と「自己破産」が目前に迫っていた。
しかし、ブライアンたちの中に「諦める」という文字は存在しなかった。彼らは常識では考えられない、シリコンバレーの起業史上に残る【伝説のシリアル作戦(シリアル販売サバイバル)】を実行に移したのだ。
ホットグルーガンで段ボール1,000箱を組み立てた夜
2008年は、アメリカの大統領選挙の年でもあった。民主党のバラク・オバマ候補と、共和党のジョン・マケイン候補による熱狂的な選挙戦が全米を揺るがしていた。
ブライアンとジョーの美大出身デザイナーとしての閃きと、追い詰められた人間の執念がここで融合した。彼らは「大統領選挙の熱狂に便乗して、オリジナルの朝食シリアルを売って資金を作ろう!」という奇策を思いついたのだ。彼らは2つの架空の限定コレクターズ・シリアルブランドのデザインを考案した。
- オバマ候補をモチーフにした【「Obama O’s(オバマ・オーズ)」】
- マケイン候補をモチーフにした【「Cap’n McCain’s(キャプテン・マケイン / キャプテン・マケインズ)」】
彼らはスーパーマーケットを回り、1箱あたり1ドル以下で買える安価な普通のシリアルを大量に買い込んだ。さらに、デザインを印刷したポスターボード(厚紙)を業者から買い付けた。
ここからの作業は、テック企業の創業とは全く無縁の、あまりにも泥臭い内職だった。彼らは毎晩アパートの部屋に閉じこもり、夜な夜な自分たちの手でポスターボードを折り曲げ、【ホットグルーガン(ホットボンド)】で接着してシリアルの箱を組み立て続けたのだ。箱ができあがると、買ってきた安いシリアルを手作業で袋に詰め替え、オリジナルの箱へと封入していった。
その数、合計で【1,000箱】(オバマ版500箱、マケイン版500箱)。彼らはこのわずか4ドル相当の粗末な手作りシリアルに、限定コレクターズアイテムとしての価値を付け、【1箱40ドル】という高額な価格で販売を開始したのだ。
オバマ・オーズのヒットと売れ残りマケイン・シリアルでしのいだ飢え
最初、誰もが「そんなふざけたシリアルが売れるわけがない」と笑った。しかし、彼らが戦略的に著名なIT系ブロガーや政治コラムニストたちへこのシリアルを献本して売り込むと、そのユニークすぎるデザインとユーモアがネット上で爆発的な口コミを生んだのだ。
そして決定打となったのが、2008年10月9日、シリコンバレーで最も影響力を持つテックメディア【TechCrunch(テッククランチ)】が彼らのシリアルを取り上げたことだった。これをきっかけに全米から注文が殺到し、特に「Obama O’s」は瞬く間に完売となった。
このシリアル作戦によって彼らが稼ぎ出した現金(シリアルマネー)は、最終的には約3万ドル以上もの純利益へと達した。この現金が、滞納していた家賃をクリアにし、限度額に達していたクレジットカードの借金を返済させ、瀕死の状態だった会社の命を繋ぐ決定的な延命資金となったのである。ブライアンは後に、CNBCなどの数多くのメディアインタビューでこのシリアル販売エピソードについて複数回にわたり誇りを持って語っている。
しかし、笑い話の裏には壮絶な苦難もあった。オバマ版が大ヒットした一方で、共和党候補の「Cap’n McCain’s」は大量に売れ残ってしまったのだ。
手元には大量のマケイン・シリアル。お金を切り詰める必要があった彼らは、アパートのクローゼットに山積みになった【売れ残りのマケイン・シリアルだけを毎食食べ続けて】数ヶ月間のリアルな飢えをしのぎ、命をつないだのである。
最強投資家集団Y Combinatorとの出会いと「ゴキブリの精神」
シリアルを売って生き延びたものの、肝心の「部屋を貸し出す」本業のサイトは依然として伸び悩んでいた。根本的な事業拡大の糸口を掴むため、ブライアンとジョーはシリコンバレーで最強の権威と影響力を誇るアクセラレーター(起業家育成・投資機関)、【Y Combinator(Yコンビネーター / YC)】の門を叩いた。
しかし、ここでも最初は書類選考で落とされてしまう。それでも諦めきれなかったブライアンらは、YCの伝説的な創業者であり、プログラマー・投資家の【ポール・グレアム】に直接連絡を取り、なんとか面接の機会をもらうことに成功した。
「お前たちはゴキブリだ。絶対に死なない」――ポール・グレアムが認めた泥臭さ
2009年初頭、運命のY Combinatorの面接。しかし、会場の雰囲気は最悪だった。ポール・グレアムたち面接官は「知らない人の家に泊まる」というビジネスモデルに全く納得しておらず、終始懐疑的な視線を向けていた。
面接時間の終わりが近づき、グレアムが「ありがとう、面接は以上です。結果は後ほど伝えます」と冷たい席を立とうとした、まさに【その瞬間】だった。
共同創業者のジョーが、持参していたカバンのチャックを開け、中から手作りのシリアルボックスである「Obama O’s」と「Cap’n McCain’s」を静かに取り出し、テーブルの上にあるポール・グレアムの目の前に差し出したのだ。
「グレアムさん、僕たちはサイトで利益が出なかったので、この大統領選シリアルを自分たちで作って、1箱40ドルで売って会社を生き延びさせました。」
シリアル箱を手に取り、その手作りのホットグルーの跡を見つめたポール・グレアムの表情が、一瞬で変わった。そして彼は、シリコンバレーの投資史に永遠に刻まれる最高の言葉を放ったのだ。
【「お前たちはまるでゴキブリのようだ。絶対に死なない。わずか4ドルのシリアルを40ドルで売って生き延びるようなやつらなら、きっと他人のエアベッドで寝ることを人々に納得させられるはずだ」】
エリートたちがプライドを気にして決してやりたがらない、泥水をすするような執念と強靭な生命力。グレアムは「ここまで何でもやる創業者なら投資する価値がある」と彼らのタフさを絶賛し、その場で見事にY Combinatorの【2009年冬バッチ(育成プログラム)】への採択を告げたのだ。これはAirbnbが、のちの時価総額10兆円企業へと向かう最大の転換点となった。
電波途絶のピンチと「現場へ行け(Do Things That Don’t Scale)」の教え
しかし、ドラマは面接の直後にも待っていた。面接を終えたブライアンたちが愛車を運転してサンフランシスコへ帰る道中、ポール・グレアムから直接電話が入ったのだ。
「おめでとう、合格だ! すぐにこの電話で参加の返事をくれ。もし後回しにして保留するなら、君たちを落として次の候補者に権利を移す!」
会社の運命を決める極限の選択。しかし次の瞬間、サンフランシスコとシリコンバレーを繋ぐ高速道路の山間部で、携帯電話の【電波が途絶え、通話がプツンと切れてしまった】のだ。
「おい嘘だろ! 今切れたら不合格にされる!」と車内で絶叫し、冷汗を流しながら必死に電波の入る場所を探した三人。幸いにも間もなく電波が回復し、グレアムが折り返し電話をかけてくれたことで事なきを得たが、まさに「会社の命運が数秒間の電波状況に左右された」スリリングな瞬間だった。
無事にY Combinatorへと参加を果たしたAirbnbだったが、最初は依然として収益(売上)が上がらず苦しい時期が続いた。パソコンの画面のデータばかりを見つめ、どうすれば予約が増えるのかと頭を抱えていたブライアンたちに対し、指導者であるポール・グレアムは雷を落とすように叫んだ。
【「パソコンの前に座っているな! ユーザーの家へ行け! 君たちは現場へ行け!」】
グレアムの教えを受けたブライアンとジョーはすぐさま行動を起こした。彼らは飛行機に飛び乗り、当時最もユーザーが多かったニューヨークへと向かった。そして、サイトに部屋を登録してくれているホストの自宅を【一軒一軒、直接訪問して回った】のだ。
彼らが現場で目にしたのは、ホストたちが携帯電話の暗くて画質の悪いカメラで撮影した、全く魅力のない部屋の写真ばかりだった。これでは誰も泊まりたいとは思わない。ブライアンらは自分たちで高価なカメラを借り、ホストの部屋を美しく撮影し直した。さらに、家具の配置や部屋の清掃について直接アドバイスをし、ホストたちが何に困っているのか、どんな機能を望んでいるのかというフィードバックを対面でひたすら聞き出したのだ。
泥臭く、絶対に大規模にはスケールしない(非効率な)手作業。しかし、この現場訪問を徹底的に重ねたことで、サイトの予約数は一気に急増し始めた。ポール・グレアムは後に、この時の彼らの行動をモデルにして、スタートアップ界のバイブルと呼ばれる名エッセイ【『創業者はスケールしないことをやれ(Do Things That Don’t Scale)』】を執筆した。Airbnbは、まさにその代表例にして最高峰の成功例として世界中に知られることとなったのである。
世界帝国への試練――「信頼ゼロ事件」とコピー企業との激闘
YCを卒業し、ようやく急成長の軌道に乗り始めたAirbnb。しかし、事業が成長すればするほど、彼らに襲いかかる試練の規模もまた、かつてないほど巨大で暴力的なものになっていった。
2011年ホスト宅荒らし事件と「100万ドル保証制度」の構築
2011年、Airbnbにとって会社が消滅しかねない最大の危機、【「信頼ゼロ事件」】が発生する。
サイトを介して宿泊したゲスト(ユーザー)が、ホストの自宅を完膚なきまでに破壊し、貴重品を略奪して部屋を荒らし回るという最悪の犯罪事件が起きたのだ。被害に遭ったホストの悲痛なブログ投稿がインターネット上で急速に拡散され、世界中のメディアがAirbnbを一斉にバッシングした。
「見知らぬ人を家に泊めるAirbnbは危険すぎる」「そんなプラットフォームは閉鎖するべきだ」
会社の根底にある「人への信頼」という理念が根底から覆され、Airbnbは再び倒産の危機に直面した。経営陣の中には法的責任を回避するために消極的な対応を促す声もあったが、ブライアン・チェスキーが取った行動は真逆だった。彼は逃げることなく、すぐに被害に遭ったホストの自宅を【直接訪問】し、CEOとしての全責任を認めて心の底から謝罪したのだ。
そして彼は、業界の常識を覆す大胆な決断を下す。ホストが安心して部屋を貸し出せるよう、万が一の損害に対して会社が最大100万ドル(約1億円以上)を補償する【「100万ドル保証制度(ホスト保証)」】を即座に導入したのだ。さらに、身分証明書による厳格な本人確認システム、双方向のレビュー評価制度、保険会社の充実したサポート制度などを次々と整備した。
単にシステムを運営するだけでなく、顧客の安全と信用を守るために自ら腹をくくる。この危機を誠実かつ圧倒的な行動力で乗り越えたことで、Airbnbは単なるマッチングサイトから、【「世界最強の信頼を売る企業」】へと大きな進化を遂げたのである。
「宣教師と傭兵の戦いは、宣教師が必ず勝つ」――Wimdu買収の拒否と理念の貫徹
同じく2011年、ブライアンをさらなる戦争が待ち受けていた。アメリカでの成功を嗅ぎつけたヨーロッパの巨大資本が、Airbnbの完全なコピー企業を立ち上げたのだ。
その名は【「Wimdu(ウィムドゥー)」】。ドイツを拠点に、世界の成功したビジネスモデルを徹底的に模倣して資金力で市場を乗っ取ることで悪名高い企業グループ、【Rocket Internet(ロケット・インターネット)】が、多額の資金を注ぎ込んで作り上げた「Airbnbのクローン企業」だった。Wimduはあっという間に世界中に400人以上の従業員を雇い、Airbnbの数十倍のスピードでヨーロッパ市場を席巻し始めた。
弱気になった一部の株主や投資家たちは、ブライアンに対して「このままではヨーロッパ市場を完全に奪われる。彼らが求める高額な金額で、Wimduを買収するべきだ」と強く勧めた。買収すれば手っ取り早くヨーロッパの市場が手に入る。しかし、ブライアンはこの買収提案を【断固として拒否】した。
彼は全従業員をオフィスに召集し、まるで戦地へ向かう将軍のような熱量を込めて、歴史に残る名演説をぶち上げたのだ。
【「これは戦争だ! 宣教師と傭兵の戦いでは、宣教師が必ず勝つ! 我々は彼らよりも深くこのビジネスを愛している。奴らは単にお金のためにやっている傭兵だが、我々には世界を変えるという使命(ミッション)がある。我々は生き残り、彼らを超える! これはまさに死活問題だ!」】
お金だけを目的に集まった傭兵(コピー企業)に、心から理念を信じる宣教師(Airbnb)が負けるはずがない。ブライアンは独自のヨーロッパ展開戦略を猛スピードで構築し、現地のコミュニティを大切に育てながら真っ向勝負を挑んだ。結果、熱量とサービス品質で勝るAirbnbはWimduとの競争に【完全勝利】を収め、世界中のライバルを駆逐したのである。
ジョブズの経営哲学と世界中のホテル業界・規制との戦い
世界帝国へと階段を駆け上がるAirbnbにとって、もうひとつの巨大な敵は「既存の既得権益」と「法律の壁」だった。
世界最大のベッド数を誇る巨大プラットフォームとなったAirbnbに対し、既存のホテル業界は猛烈な危機感を抱き、徹底的な抗議運動とロビー活動を開始したのだ。その結果、ニューヨーク、パリ、東京、バルセロナなど、世界各国の主要都市で厳しい【営業規制】が導入され、違法民泊問題として政治的な猛反発を浴び続けることとなった。
何百億円もの訴訟リスクや、各地の自治体からの圧力。しかし、ブライアンは一切揺るがなかった。彼は次のように理念を語り、決して後退しなかった。
【「人々は旅行先でただホテルの個室に閉じこもりたいわけではない。その街の人々と触れ合い、その街に『住むように旅をしたい』のだ」】
彼は各国の政府や自治体の首長たちと粘り強く直接交渉を続け、適切な税金の徴収ルールやルールの遵守を約束しながら、合法的に事業を拡大させる道を切り拓いていった。
スティーヴ・ジョブズから学んだプロダクトへの執念
なぜブライアンは、これほどまでに巨大な障壁を次々と突破し続けることができたのか。その精神的支柱には、彼が若い頃から崇拝していたAppleの創業者、【スティーヴ・ジョブズ】から学んだ経営哲学があった。
実はブライアンは、生前のスティーヴ・ジョブズ本人とも直接の交流があり、彼の経営スタイルやものづくりへの執念に決定的な影響を受けていた。「少数の本当に重要なことだけに極限まで集中する」「決してプロダクトの細部への妥協を許さない」というジョブズの教えは、ブライアンの骨の髄まで染み込んでいる。
多くの巨大企業のCEOが、会社が大きくなると財務や管理業務ばかりに追われるようになる中で、ブライアン・チェスキーは今なお、CEO自らが現場のデザインレビューやプロダクトのUI/UXレビューに深く関わり続けるという【「プレイングマネージャー(職人型経営者)」】のスタイルを貫いている。彼が各種インタビューや伝説の起業家ポッドキャスト『The Founders Podcast』等でも語っている通り、美大時代に磨き上げた「妥協なきクリエイティブへの執念」こそが、Airbnbを単なるITツールではなく、世界中から愛される文化的なブランドへと押し上げた最大の武器なのである。
コロナ禍の絶望――8週間で売上80%消滅と「魚雷が直撃した船」
創業から12年。無数の危機を乗り越えたブライアン・チェスキーとAirbnbは、いよいよ2020年、シリコンバレーの頂点となる株式公開(IPO)に向けて最終準備を進めていた。世界中の投資家たちが注目する、記念すべき年になるはずだった。
しかし2020年初頭、人類の歴史すら変える未曾有の大災厄が世界を襲う。【新型コロナウイルス(COVID-19)】の世界的大流行である。
「すべての責任はCEOである私にある」――シリコンバレー史に残る伝説の解雇通知
パンデミックにより世界各国が国境を封鎖し、都市のロックダウン(封鎖)が始まった。全人類の移動が完全にストップし、旅行・民泊というビジネスモデルの前提そのものが消滅したのだ。
Airbnbが受けたダメージは、言語を絶する壊滅的なものだった。わずか【8週間】という短い期間で、世界中からの宿泊予約が激減し、会社の売上の【80%が完全に吹き飛んで消滅】したのだ。売上が一瞬にして70%以上も急落(plummet)し、毎月数千億円規模のキャッシュが猛烈な勢いで流出していく絶望的な状況。
当時を振り返り、ブライアンはスタンフォード大学経営大学院の講演やインタビューなどで、その時の恐怖を次のようにリアルに語っている。
【「時速80マイル(約130km)で突っ走る大型トレーラーが、いきなり急ブレーキを踏んだような衝撃だった。IPOを目前に控えていたのに、完全に茫然自失だった」】
【「自分が船長を務める船の脇腹に、突然巨大な魚雷が直撃したような絶望だった。12年かけて血と汗で築き上げたものが、わずか数週間ですべて消え去ろうとしていた」】
会社が存続できるタイムリミットは刻一刻と迫っていた。サバイバルのため、ブライアンは経営者として人生で最も重い、苦渋の決断を下さざるを得なくなった。全従業員約7,500人のうち、約25%にあたる【約1,800人から1,900人もの仲間たちを解雇(レイオフ)する】という決断である。これはコロナ禍におけるシリコンバレーのテック企業として、最初期かつ最大規模の壮絶なレイオフのひとつとして記録されている。
しかし、ここでもブライアン・チェスキーという男の真価が発揮された。冷酷な数字の調整として事務的に首を切る多くの経営者たちとは、彼の対応は次元が違ったのだ。
2020年5月5日、彼は全社員に向けて一通の公開レター(解雇通知メール)を送信した。そこには、言い訳や責任転換は一切書かれていなかった。
【「この残酷な現実の原因は、君たち従業員には一切ない。すべての責任はCEOである私にある。彼らはこの会社を築き上げた、最も重要なメンバーたちだ」】
彼が発表した解雇に伴う退職支援パッケージは、手厚さにおいて異例中の異例だった。
- 最低でも14週間分(約3ヶ月半以上)の十分な給与補償
- 1年以上先までの長期的な医療保険の全面継続・延長
- 会社から支給されていた社給ノートパソコンを、返却させずにそのまま個人所有物として無償譲渡(次の仕事探しに使わせるため)
使ってはいけない4文字の言葉「愛している」と特設サイト「Alumni Talent Directory」
さらに、彼は解雇された仲間たちの次のキャリアを全力で支援するため、会社の費用とエンジニアを使って【「Alumni Talent Directory(アルムナイ・タレント・ディレクトリー)」】という特設の公開就職支援サイトを自社で立ち上げた。
そこには、解雇される優秀な社員たちの顔写真と経歴、持つスキルが美しく掲載されていた。ブライアンは自らシリコンバレーの同業他社のCEOや人事担当者たちへ電話やメールで直接連絡を取り、「私の会社で育てた最高に優秀な仲間たちだ。頼むから、彼らを君たちの会社で雇ってやってくれ!」と頭を下げて回ったのだ。
そして、この全社員へ宛てた長い公開レターの最後の締めくくりに、ブライアンはビジネスの世界や法律の専門家からは「絶対に感情的になるな、裁判で不利になるから使うな」とタブー視されている【4文字(英語で4ワード:I love you all)の言葉】を、あえて書き記したのだ。
【「愛している(I love you all)」】
この誠実さと優しさに満ち溢れた解雇通知は、フォーブス誌やハーバード・ビジネス・レビューをはじめとする世界中の経済メディアから、【「レイオフを伝える文書として史上最も誠実なもののひとつ」】【「逆境における経営者の共感と情けの鑑(マスタークラス)」】と大絶賛され、世界中の経営者が参考にする歴史的バイブルとなった。
当時、絶望の淵に立たされた自分自身のメンタルについて、ブライアンはジョーダン・ハービンジャーのポッドキャスト等で次のような深い教訓を残している。
【「危機の中で最も管理が難しいのは、何よりもまず『自分自身の心理(メンタル)』だ。社員や世間の人々は、リーダーであるあなたの目をずっと見ている。もしあなたが『もう終わった』と絶望していれば、それは瞬時にあなたの目に映り、組織全体に伝染する。だからこそ、リーダーはどんな地獄の中にいても、強靭に楽観的でなければならないのだ」】
ビジネス史上最も劇的なV字回復と「世界最悪のIPOタイミング」での勝負
身を切り裂くようなレイオフと事業の緊急縮小という血を流しながらも、ブライアンの目は完全に死んではいなかった。彼は「楽観的であれ」という言葉通り、この最大の危機を逆に最高のチャンスに変えるべく、驚異的なスピードでビジネスモデルの大転換(ピボット)を断行したのだ。
「近場・長期滞在」へのピボットと医療従事者への無償提供
パンデミックによって、飛行機に乗って海外に行き、大都市の観光地を巡るという従来の旅行需要は完全に死に絶えた。しかしブライアンは、市場に起こりつつある「新しい変化の兆し」を敏感に捉えた。
人々は都市部の密集を避け、リモートワーク(テレワーク)をしながら【「近場(車で数時間運転して行ける距離)の自然豊かな別荘や地方都市に、28日以上の長期滞在をして暮らすように働く(デジタルノマド)」】という新しいライフスタイルを求め始めていたのだ。
彼は即座にサイトの仕様を全面改修し、遠距離の観光地プッシュから、「近郊の別荘」「1ヶ月以上の長期ステイ」「地方移住体験」のローカル需要を最優先で表示するシステムへと180度舵を切った。
さらに彼は、社会全体の利益のために動いた。新型コロナウイルスの最前線で戦いながらも、感染リスクから自宅に帰れず、ホテルにも宿泊を断られて困窮していた医師や看護師などの【医療従事者に対して、部屋を無償で提供するプログラム】を立ち上げたのだ。ブライアンのミッションに共感した世界中のホスト【25万人以上】がこの無償提供プログラムに参加し、Airbnbは社会的な信頼とブランド価値を極限まで高めることとなった。
上場初日に株価2倍・時価総額10兆円超!9ヶ月の奇跡の復活劇
このブライアンの神速のピボットが、見事に的中する。
2020年夏の終わり頃には、車で行ける近場への長期滞在需要が爆発的に急増し、Airbnbの業績は奇跡的な黒字回復を見せ始めたのだ。そして同年の年末、ブライアンは世界中の金融界を震撼させる決断を下す。
2020年12月10日。コロナ禍の真っ只中という【「世界最悪のIPOタイミング」】と言われた逆風の中で、アメリカのナスダック(NASDAQ)市場への株式上場(IPO)をあえて強行したのである。
当時の市場関係者の多くは「コロナが収束していない今、旅行会社の上場なんて失敗する」と冷ややかだった。設定された公開価格は1株68ドル。
しかし、いざ上場の鐘が鳴り響くと、市場の反応はブライアンたちへの熱狂的な賛辞へと変わった。取引が開始されるやいなや、買い注文が殺到。初日の終値で、株価は公開価格の【2倍を超える146ドル水準】へと急騰したのだ。
この瞬間、AirbnbのIPO初日における時価総額は【約865億ドルから約1000億ドル超(当時の日本円の換算レートで約9兆円から10兆円超)】という桁違いの記録を打ち立てた。
- 8週間で売上の80%を失った「消滅秒読みの絶望」
- そこからわずか9ヶ月間での「奇跡の上場・株価2倍」
これほど短期間のうちに、死の淵の奈落から天国へと駆け上がった企業は、世界規模のビジネス史を見渡しても例がない。無職で家賃が払えず、エアマットレスを3枚敷いて、シリアル箱をホットグルーで組み立てていた美大生が、リーマン・ショックとコロナショックという2つの世紀の大危機を力強く粉砕し、ついに世界のビジネスの頂点に立った【「伝説の大逆転劇」】が完成した瞬間だった。
働き盛りの男性がブライアン・チェスキーの生き様から学ぶべき教訓
ブライアン・チェスキーの半生は、いま仕事や人生の壁にぶつかり、闘っているすべての働き盛りの男性読者にとって、心に火をつける強烈なバイブルである。彼が流した血と泥水から、私たちが学び取るべき人生とビジネスの教訓を凝縮して届けたい。
- 【「専門外」や「経歴のハンデ」を言い訳にするな】
経営学もプログラミングも知らない、アート専攻でボディビルとホッケーに明け暮れた男でも、持ち前の熱量とデザイン思考で世界10兆円企業を創り上げた。「自分は専門外だから」「学歴がないから」という自己弁護は、挑戦から逃げるための言い訳に過ぎない。 - 【市場の真実を決めつけるエリートの声を無視しろ】
シリコンバレーの著名な投資家たちが全員「そんな危険なサービスは絶対失敗する」「誰も見知らぬ人の家に泊まらない」と笑って門前払いしても、現実の市場とユーザーには確かな需要が存在していた。周囲の冷笑に負けず、自分が信じる価値を貫き通す強さが男には必要だ。 - 【泥水をすすってでも「生き延びる執念」を持て】
倒産寸前の極限状態において、プライドを捨てて安価なシリアルを仕入れ、手作業で箱を組み立てて40ドルで売り抜けた執念が会社の命運を繋いだ。スマートにかっこつけようとするのではなく、どんなに泥臭くてもサバイバルする「ゴキブリの精神(強靭な生命力)」こそが勝者を決める。 - 【トップに立っても「現場」を自身の足で歩き続けろ】
パソコンの画面やスプレッドシートの数字だけを見ていても本質は見えない。創業期にニューヨークのホスト宅を一軒一軒回って写真を撮り直したように、「スケールしない泥臭い行動」を自らの手と足でやり抜くことが、圧倒的な飛躍と成長の堅牢な土台となる。 - 【絶望的な危機においてこそ「誠実さ」と「楽観性」を貫け】
売上の80%が吹き飛ぶコロナ禍の地獄の中で、自身の責任を認め、解雇する仲間に「愛している」と伝え、彼らの転職を全力で支援したからこそ、Airbnbは信頼を失わなかった。危機の時ほど男の人間性の真価が問われる。リーダーの目が絶望していれば組織は死ぬ。いかなる時も強靭な楽観性を保ち、前を向いて歩み続けろ。
本記事の参照ソース元一覧
- Brian Chesky本人が2015年にMediumに投稿した記事『7 Rejections』(2008年6月に7人の著名投資家から受けた拒絶メールの全文公開)
- Brian CheskyによるStanford Graduate School of Business(スタンフォード大学経営大学院)講演『How to Start a Startup』および『Brian Chesky on Managing Through Crisis and Uncertainty』
- Brian CheskyによるY Combinator『Startup School』講演
- Paul Graham(Y Combinator創業者)執筆のエッセイ『Do Things That Don’t Scale(創業者はスケールしないことをやれ)』および同氏のインタビュー・講演記録
- Airbnb公式ドキュメント『About Airbnb』『Our Story』
- Airbnb公式ブログ『A Message from Brian Chesky』(2020年5月5日公開の全社員向けレイオフ発表レター全文)
- Airbnbによる米国証券取引委員会(SEC)提出書類『IPO Form S-1/A』(2020年)
- Startups.com インタビュー記事『An Unbelievable Journey: Interview with Brian Chesky』(RISDでのバックグラウンド、元ボディビルダーの経歴、初期の貧困状態の記録)
- Medium 掲載ドキュメント『The Airbnb Founder Story: From Selling Cereal to a $30B Company』(クレジットカード債務4万ドルのファクト、大統領選シリアル内職と3万〜4万ドル調達のエピソード)
- Forbes誌 報道記事(2020年5月6日公開)『Airbnb Lays Off 25% Of Its Employees: CEO Brian Chesky Gives A Master Class In Empathy And Compassion』(コロナ危機における誠実な解雇支援とリーダーシップへの評価)
- Harvard Business Review 特集記事『The Airbnb Story』
- CNBC インタビューおよび特集『How Brian Chesky Built Airbnb』(シリアル販売エピソードに関する発言記録)
- Fortune誌 および Bloomberg によるBrian CheskyインタビューおよびIPO関連記事
- The New York Times および The Wall Street Journal によるAirbnb創業史、コロナ禍サバイバル、IPO関連報道
- ResearchGate 経済論文 / BCP Business & Management 掲載論文『Airbnb IPO: A Huge Success under Pandemic』(2020年のビジネスモデル転換とIPO初日の財務データ)
- McKinsey & Company インタビュー『The 21st-Century Corporation: A Conversation with Brian Chesky』
- 伝説の起業家ポッドキャスト『The Founders Podcast』(David Senraホスト)によるBrian Chesky・Airbnb創業エピソード解説およびジョブズの経営哲学に関する分析
- ポッドキャスト『Clever Podcast』(Ep.136)および『Jordan Harbinger Show』(Brian Chesky: Lessons Airbnb Learned to Survive the Pandemic)の書き起こしテキスト
- Stay Scrappy Substack『How Airbnb Got Their First Customers by Selling Cereal and Pitching Tiny Bloggers』
- Sequoia Capital公式サイト『Crucible Moments: Airbnb』ポッドキャスト書き起こし
- Business Upturn USA『Brian Chesky Biography: From Art Student to Airbnb CEO』
- A Simple Model『Airbnb Gets Investors’ Attention with Cereal Boxes』
- 書籍『The Airbnb Story: How Three Ordinary Guys Disrupted an Industry, Made Billions… and Created Plenty of Controversy』(Leigh Gallagher著)
- YouTube解説動画『How Breakfast Cereal Saved Airbnb』(創業初期のクレジットカード債務からシリアル販売によるサバイバル劇の全貌)
- Wikipedia『Brian Chesky』英語版および『Airbnb』企業の歴史アーカイブ
